こんにちは
うきうきです。
2021年9月11日の「マツコ会議」の予告をみていたら気になる人を見つけました。
フィリピンで大人気のフミヤが観光大使!
という見出しですが、そもそもフィリピンで大人気?フミヤって誰?
今回は、フィリピンで大人気というフミヤさんについて調べてみたいと思います。
フミヤはなぜフィリピンで一番有名な日本人?
フミヤさんは、フィリピンに活動拠点を置く日本人です。
芸名はフミヤ・Fumiya・Fumiを使っています。
2017年にフィリピンに語学留学をした際に、家族に元気な姿を見てもらおうと
YOUTUBEで発信するようになりました。
あるときにyoutubeにあげた「バロットを食べた」という話題がフィリピン人の間で話題になったそうです。
バロットとは、
食べ方・孵化直前のアヒルの卵を加熱したゆで卵でだそうで、
スープをすすった後はゆっくりと殻をむきます。
黄身が見えますが、最後までむくとある程度形が作られた雛が見えてきます。
それに塩などを振りかけ食べるそうです。
味・チキンスープ風味のゆで卵といった感じで、胎児は柔らかい蒸し鶏のような味がするそうです。
フィリピンやベトナムのストリートフードだそうで、気軽く食べられる珍味だそうですが、
見慣れていない人にとってはショックが大きいので写真を載せるのはやめておきますね。
見たい人は、下のFumiyaさんのyoutubeをご覧ください。
なんでもフィリピンの人に受け入れられたのは、
「思ったとおり正直に『おいしくない』って表現したのがよかったのかな」とフミヤさんは回顧しています。
そして、このyoutubeの反響を受けてフミヤさんは自分で「フィリピンで一番有名な日本人」になることを目指すようになったそうです。
その後も、フィリピンの文化に挑戦する動画を取り続けフィリピンの人々に受け入れられるようになっていきました。
また、2018年5月にはフィリピン最大のテレビ局ABS-CBNの「スターハント」というオーディションに応募し、約10万人の応募者の中からオーディションに勝ち残り、「Pinoy Big Brother(ピノイビッグブラザー)」に出演を果たしたそうです。
番組内の「24時間監視生活」「外部との情報を遮断される」などの過酷なルールの中、4ヶ月のサバイバル生活に勝ち抜き、ビッグ4(最後まで残った勝者4人)となり、フィリピンの国民的な人気者になったそうです。
番組終了後にはフィリピンの芸能マネジメントに所属し、タレント、俳優、アーティストとしてテレビのレギュラー番組をもち、多い時には3人のボディガードがつくほどの人気者になったそうです。
フィリピンの公用語は英語で、フミヤさんは 高校を専門学校を卒業し、新入社員時に受けたTOEICの試験で185点だったそうなので、かなり努力したのが伺われますね。
ちなみにTOEICの100点台のレベルとしては、一般動詞とBE動詞の違いがわかっていないレベルだそうです(汗)
結論からいうと、フミヤさんがフィリピンで一番有名な日本人と噂されるようになったのは、
いわゆる棚ぼたではなく、本人の相当の努力があったということをうかがい知ることができました。
フミヤ(Fumiya)の本名は?
フミヤさんの本名は、三海郁弥(さんかい ふみや)と言います。
由来は、歌手の藤井フミヤさんだそうです。
フミヤ(Fumiya)の学歴は?
フミヤ(Fumiya)のWiki風プロフィール
生年月日:1995年3月19日
年齢:26歳
出身:静岡県浜松市
国籍:日本
身長:170cm
家族:両親・弟2人・妹1人
フミヤさんの弟や妹がツイッターで紹介されていました。
弟妹みんなフミヤさんに似ていますね!
フミヤ(Fumiya)の学歴は?
出身中学:浜松市立北浜東部中学校
静岡県浜松市浜北区上善地317
地図でみると、天竜川の近くの学校なんですね。
出身高校:静岡県立浜松商業高校
〒432-8004 静岡県浜松市中区文丘町4−11
出身が公立の中学校なので、フミヤさんの実家は中学からそんなに離れていないところにあるものと思われます。
ちなみに中学校を拠点とすると、高校は電車で約1時間半の距離でした。
随分頑張って通われたんですね。
中学では陸上部、高校ではバスケットボール部に所属し、大会に出るなど活躍していました。
高校の次は大学ですが、フミヤさんは大学へは行かずホテルマンを目指すことにしたそうです。
というのも幼少期から将来は経営者になりたいと思うようになり、父親が会社を経営していく上で「人脈」を大切にする姿を見て育ったため、高校卒業後は自身の人脈を広げる為、東京で接客業につこうと思ったそうです。
高校時代のフミヤさんは一番の接客業はホテルだと思ったそうで、ホテルに就職することにしました。
残念ながらフミヤさんが卒業したホテルの専門学校は非公開ですが、東京YMCA国際ホテル専門学校ではないかと言われています。
フミヤさんは専門学校を卒業した後、マリリンモンローやチャップリンも泊まったことがあると言われている東京日比谷にある帝国ホテルに就職し、1年半ベルボーイを務めました。
フミヤ(Fumiya)さんの経歴は?
フミヤさんは、帝国ホテルで働いているときに、意味不明な日本語のTシャツをきている外国人をみたそうです。
それはイギリスのブランドの「Superdry極度乾燥(しなさい)」というブランドでした。
残念ながらTシャツの画像はみつかりませんでしたが
うきうきもアメリカに旅行に行ったときにこのブランドの洋服をきている外国人をみて
目を疑いました。
日本語が書いてあるのに、意味不明。
もしかして、昔でいうところの「バッタもん」「偽物」かな~?と。
ちゃんとしたブランドだったのですね。
それをみたフミヤさんは、 日本人がつくる意味のこもった洋服を、海外の人に着てもらいたいと思い、
海外でファッションブランドを立ち上げようと思ったそうです。
そして、最初のスタートとしてフィリピンに語学留学をすることにしたそうです。
フィリピンにわたった後のことは、先ほど「フミヤはなぜフィリピンで一番有名な日本人? 」のコーナーでも書かせていただきました。
フィリピンで、芸能活動を行っていたフミヤさんは
2019年12月に肺気胸により体調を崩し、自身の地元である浜松に帰省し入院生活を過ご
していましたが、地元浜松が以前より活気がなくなっていたことに悲しくなり自身の影響力を良い方向に使い、街に還元することにしたそうです。
手始めとして、2020年2月16日には静岡県浜松市に自身のミュージアムである「FumiShun Base Hamamatsu(ふみしゅんべーす はままつ)」をオープン
2020年6月24日には浜松市の観光大使である「やらまいかアンバサダー」に第一号アンバサダーとして就任
2020年9月22日にはプロバスケットボールBリーグの「三遠ネオフェニックス」 2020-21シーズンのSNSアンバサダーとして就任
2020年12月11日には自身の香水ブランド「fumi fragrance」
2020年12月19日には留学当初からの夢であった自身のアパレルブランド「BRIGE」設立
ものすごく精力的に活動していますね。
これで、現在50歳なら、納得もできますが、26歳ですよ!!26歳!
もし専門学校を20歳で卒業していたとしたら、6年でこんなにすごいことを成し遂げたことになります。
凄いとしか言いようがありません!
現在は、SNSの総フォロワー数が500万人を超えていて、日本の芸能界にも興味があるそうです。
youtubeなど以前はSNSの世界で活躍していた方もテレビでみかけることが多くなってきました。
今回のマツコ会議もそうですし、普通のバラエティ番組やドラマなどでフミヤさんをよく見かけるようになるのもそんなに遠くないかもしれませんね。
まとめ
Fumiya(フミヤ)は、フィリピンで一番有名な日本人である
Fumiya(フミヤ)の本名は、三海郁弥である。
Fumiya(フミヤ)の学歴は静岡県立浜松商業高校を卒業した後、ホテル専門の専門学校を卒業した
Fumiya(フミヤ)の経歴は、ホテルに1年半務めた後フィリピンへ行き、「フィリピンで一番有名な日本人」と呼ばれるほどフィリピンで芸能活動をしたのち、日本に帰国して、
浜松市の活性化のために尽力すると共に、自身のブランドを立ち上げている。
以上になります。
これからもお身体に気を付けて頑張ってくださいね。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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