大黒摩季、子宮疾患で子宮全摘なのになぜ一人で母の介護?

芸能:女性

こんにちは

うきうきです。

11月5日の「徹子の部屋」に歌手の大黒摩季さんが初出演されます。

大黒摩季さんといえば、「ら・ら・ら」「あなただけ見つめてる」「DA・KA・RA」などの
ヒット曲が有名ですね!

どの曲もアップテンポで、ワクワクするような曲調ですよね。

そんな大黒摩季さんですが、プライベートでは壮絶な人生を歩んでいるようです。

今回は、その大黒摩季さんのことについて、

大黒摩季、子宮疾患で子宮全摘なのになぜ一人で母の介護?

を調べてみたいと思っています。

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大黒摩季 WIK風プロフィール

引用元:https://www.oricon.co.jp/news/2151648/full/

本名:大黒摩紀
生年月日:1969年12月31日
年齢:51歳
出身:北海道札幌市
血液型:A型
学歴:藤女子高等学校卒業
職業:シンガソングライター・作詞家・作曲家・編曲家
ジャンル:ロック・ポップ
所属事務所:ビーイング
家族:父 大黒正芳(2000年死去)・母 美也子・弟
礼騎

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大黒摩季は子宮疾患で子宮を全摘出した!

大黒摩季さんは、10代のころから生理が重く、
1996年ころから子宮の病気を4つも患っていたそうです。

子宮腺筋症子宮内膜症子宮筋腫左卵巣のう腫の4つになりますが
うきうきの友人でもこのうちの一つで入院をしたり手術したりしているので、
どれも大変な病気ですよね。

大黒摩季の罹っていた子宮疾患の4つ

  • 子宮腺筋症

子宮の筋⾁内に子宮内膜に似た組織ができることで子宮内の壁が厚くなり、子宮全体が大きくなる良性の病気です。

症状:強い月経痛や月経量の増加(過多月経)、⽉経期間が長くなる、貧血などの症状

  • 子宮内膜症

子宮内膜症とは、本来なら子宮の内側の壁を覆っている子宮内膜が、子宮の内腔以外の部位(卵巣や腹膜、子宮の壁の中など)に発生し、発育を続ける病気です。

症状:子宮内膜症になると、月経痛、腰痛、慢性骨盤痛、性交痛、排便痛、排尿時痛などの何らかの痛みがある。卵巣がんになることも

  • 子宮筋腫

子宮筋腫とは子宮を構成している平滑筋という筋肉組織由来の良性腫瘍で、比較的若い方から閉経後の方まで高頻度に見られる病気

症状:過多月経、過長月経、月経痛、腹部腫瘤触知、貧血

  • 卵巣のう種

卵巣にできる腫瘍のうち、内容物が入った袋(嚢胞)のような形をしたものを、卵巣嚢腫と呼びます。この卵巣嚢腫はほとんどが良性

症状:腹部膨満感(お腹が張って苦しい)、下腹部痛、頻尿など
小さいうちは無症状で経過することが多く、大きくなったり腹水がたまったりしてから
症状が出現することが多い。悪化したり、癌化することもあるので注意が必要

この4つの病気のせいで、子宮が肥大化して、他の臓器を圧迫していて、お医者さんにこのままでは
子宮を全摘しなければならなくなると言われていました。

また、2003年に結婚した夫との間に子供を臨んでおり、不妊治療も開始していました。

2010年には、不妊治療のために仕事の活動休止をしました。

受精卵が着床しやすい子宮内膜に整えるために、エストロゲンを補充します。
しかし子宮腺筋症はエストロゲンが餌。つまり不妊治療の影響で子宮が肥大化してしまい、
今度は大きくなった子宮を小さくするためにホルモン値を下げる薬を約半年投与。

4つの疾患がそれぞれ炎症を起こして発熱・激痛をこらえる日々が続きました。

3~4か月不妊治療して、半年は子宮疾患の治療
激痛に発熱。

これで、仕事まではとてもじゃないけれど、できませんね。

それでも、赤ちゃんをあきらめたくなかった大黒摩季さんでしたが、
何度妊娠しても流産しちゃいました。

最後には、アメリカでの凍結受精卵による代理母出産に望みを託し、
2015年に子宮全摘手術に踏み切った
のです。

しかし、12個あった凍結卵子も全て着床せず2017年に不妊治療をやめることにしました。

女性として、愛する人の子供を産んであげられないのはとても辛いことだと思います。

本当に頑張ったし、辛い選択だったと思います。

それなのに大黒摩季さんの旦那さんは、一緒に二人での今後を模索していこうとはせずに、
2018年に他の人と子供を作り、大黒摩季さんと離婚が成立した直後に入籍をするという
クズっぷり。

しかも大黒さんは、その旦那さんを守るために、自分が離婚届けを提出するのを忘れただけ!と
庇ったのですから、見上げたものです

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大黒摩季、なぜ一人で母の介護!?

大黒摩季さんが前の旦那さんと結婚した丁度2003年頃に、母 美也子さんが、
登別温泉の旅行先でカラオケをしているときに、脳出血で倒れてしまったそうです。
脳が広範囲に損傷していて、左半身麻痺になり、車椅子生活になってしまいました。
食事をしても、左側からこぼれてしまったそうです。

面倒見がよかったお母さんが、人から面倒をみてもらうのに耐えられなくなり、
なんと双極性障害(躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気)になってしまい、体重も38キロと激減してしまいました。

倒れてからずっと弟さん夫婦がお母さんをみていたそうですが、
このままだと弟さん夫婦も倒れてしまうと心配した大黒摩季さんが
札幌からお母さんを呼び寄せて東京の介護施設に入れました

お母さんを東京に呼び寄せたタイミングが、
大黒摩季さんが子宮疾患と不妊症の治療のための活動休止期間と重なったからできたようですが、
知り合いのいない場所で逆に心を閉ざしてしまったお母さんが大黒摩季さんに感情を爆発させたり、
とても辛い日々だったようです。

しかし2013年ごろにある出来事があって、お母さんに対する接し方を変えたそうです。

「彼女にとって私は娘。母には介護を受けていても親としての気持ちがある。上からではなくて、相談するように接すると、凛とした表情に戻るのです。面倒を見てやるのではなく私も頼る。それからは、母に笑顔が戻ってきました」

引用元:https://www.dailyshincho.jp/article/2021/01111056/?all=1

結局は、何歳になっても、自分がどういう感じであっても、親は親なんですね!

うきうきの親も結構な年になりますが、いまだにうきうきの体を心配したり、面倒を見たがります。

うきうきの人生においても、この大黒摩季さんの経験はとてもためになりました。

忘れないようにしなくてはと肝に銘じました。

大黒摩季さんがお母さんの介護を、自身の子宮疾患の病気もあるのに、一人でやっていた!

家族は!弟夫婦は何をやっているんだ?と憤りを感じましたが、

実際は弟夫婦が頑張って共倒れになりそうだったのを見るに見かねて大黒さんが東京に引き取った

いう感じだったのですね。

それなら、仕方がないですね。

また、左半身麻痺のお母さんですが、東京に来た時は大黒さんが人生で一番つらい時期だったと思います。

手は出せなくても、きっと大きな心の支えになったのではないかな?と思います。

これからも大黒摩季さんの支えになってほしいですね。

まとめ

大黒摩季さんは4つの子宮疾患を抱えながら不妊治療をした
しかし、子宮を全摘出して、子どもも残念ながら授からなかった

大黒摩季さんは、左半身麻痺のお母さんを東京の介護施設にいれて、
介護している

以上になります。

最後までお読み下さりありがとうございました。

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